2022年


ーーー12/6−−−  30年越しのキッチンキャビネット


 
30年越しの約束が果たされた、と聞けば、何事かと思うだろう。我が家の、キッチンキャビネットのことである。

 30年前にこの自宅を建てた時、台所の流し台のキャビネットは、私が作ることになっていた。その時期は、私の技術専門校の在学と重なる。技専で同様の課題をこなしたことがあったので、作る自信はあった。しかし、すぐに製作できる状況ではなかったので、とりあえず工務店には、カウンターにシンクが備わった金属製の流し台を納めて貰った。レストランの厨房にあるような設備である。カウンターを支えるのは柱だけで、全てオープンである。そのカウンターの下に、将来私が作るキャビネットを入れ込む予定であった。

 そのまま、30年が過ぎた。この間、カミさんから、「いつになったらキャビネットが出来るのか?」、「このままでは不便でしょうがない」、「約束が違う」などのクレームが、定期的に発せられた。そう言われるたびに、後ろめたさを感じたものだが、注文仕事があれば、家の家具を作る余裕など無い。というわけで、放ったらかしになっていたのである。

 昨年夏ごろから、注文がパッタリと来なくなった。私はコロナのせいだと睨んでいるが、真相は分からない。ともかく、工房の稼働状況は完全にダウンした。その苦境に一筋の光明を与えてくれたのは象嵌物語であるが、そのピークが一段落した9月上旬、カミさんが 「暇なら流し台のキャビネットを作ってよ」 と、狙いすましたような一言を発した。それを聞いて、私もその気になり、30年越しの約束が実行される運びとなった。

 既設の流し台に、キャビネットを組み込むのである。ある程度の困難は予想された。まず流し台の寸法の測定を試みた。長大なサイズの立体物の寸法を、ミリ単位で正確に測るのは、しかも無理な姿勢で測定をするのは、簡単ではない。その測定からして、精度に不安を感じるものだった。しかも、寸法が微妙に狂っている。例えば床からカウンターまでの高さ。本来なら同じ寸法であるべきものが、あちらとこちらでは5、6ミリも違っている。おそらく、建物の歪みに合わせて、什器のセッティングを調整したのであろう。工務店にしてみれば、そんな狂いは取るに足らない事かも知れないが、家具製作者の立場からすれば、まるで異次元の世界である。

 既設に合わせるのだから、構造的にも配慮をしなければならない。作ったものの、部材が干渉して入らないようでは困る。しかし、どんなに周到に配慮をしても、勘違い等による齟齬を完全に払拭することは出来ない。あらかじめそういうことを見越して、計画をする必要があるのだ。とは言え、安全サイドに偏り過ぎると、結果として見映えが悪いものになってしまう恐れがある。そこら辺の兼ね合いが、難しい。

 測定した寸法に基づいて、設計図を描いた。扉や引出しの構成(数やサイズ)は、使用者であるカミさんの要望に従った。作図はCAD(Jw-cad)を使う。無料ソフトだが、使い慣れると、製図のみならず、いろいろな事に便利である。手描きの製図は、すっかり遠ざかっている。

 材木はツーバイ材を使うつもりだったが、このところ高騰していて(昨年の1.5倍)、なんだか損をする気がして嫌になった。そこで、自宅に残っている家具用の材を使う事にした。採用したのは、ホワイトアッシュ。20年以上前に、当地の材木屋から格安で購入したものである。家具用の材とは言っても、、お客様に納める製品に使うにはちょっとためらうような品質の材であった。そのため、そこそこの量を保ったまま、使われずに置いてあったのである。

 製作は、自宅用ということで、大幅に手を抜いた。手を抜くと言っても、ガタがきたり、壊れたり、将来使い難くなるというような事はしない。目に付かない部分は鉋をかけない、ペーパーがけもしないという程度である。また変色や虫食い穴がある材でも、見えない箇所限定で使う。その程度の手抜きでも、工程はずいぶん楽になる。見映えを気にしない木工、材のこだわりを軽くした木工、つまり実用本位の木工は、こんなにも気楽なものだと思い知らされた。

 一気に製作を進めることはしない。側面が組み上がった段階のものを、母屋へ運び、流し台の下に入れてなじみ具合を見る。寸法が微妙に違って入らない、あるいはクリアランスが小さすぎて不安を感じるような部分は、工房へ戻して削り、寸法を整える。この作業を、四つの区画の箱に関して繰り返す。それが終わったら、水平部材で連結して箱型に組み立てるのだが、これも仮り組みをした状態で流し台に入れてみて、左右方向の納まり具合を確認する。箱に組んだものは、そこそこの大きさがあり、重量もあるので、工房と母屋を行ったり来たりするのが、けっこうきつかった。

 そのように慎重にチェックを繰り返しながら、箱を組み立てていく。組み立てが終わったら、扉と引出しを仕込む。仕込みというのは、扉や引出しを、キャビネット本体にピッタリ納まるように調整する工程である。伝統的な桐箪笥や民芸家具などで使われる方式だが、職人の技を使った手間がかかるので、量産家具には使われない。キッチンキャビネットを仕込み方式で作るというのは、おそらく希少な事だろう。

 全ての加工が終了したキャビネットを、流し台に組み込んだ。何度もチェックをしたとはいえ、緊張の瞬間である。幸いなことに、大したトラブルも無く、全体が流し台の下に納まった。

 シンクの配水管が通っている区画は、当初は背板と底板を省略するつもりだった。それらがあると、配水管と干渉して、組み込めないからである。しかし、納まった状態を見たら、底板と背板は必要だと感じた。配水管に沿って上がってくる嫌な臭いを遮ることと、外壁から伝わる冷気を防ぐためである。他の区画は全て背板も底板も入れてあるので、ここだけ無いと、弱点を作ることになる。簡便なやり方を用いれば、板張りの施工は簡単にできる。粘着テープを使って、板を継ぎはぎで納めるなどというのは、注文仕事だったら許されないところだが、自宅用だから問題無い。将来不具合が生じたら、やり直せばよいだけだ。

 かくしてキッチンキャビネットは出来上がった。カミさんが喜んだのは、言うまでも無い。彼女にしてみれば、これほど立派なものが手に入るとは、思っていなかったろう。自宅用で、しかも他者の目には触れない家具である。もっと粗末な物でお茶を濁しても無理は無いのである。もっとも実際は、見えない部分は、手抜きのオンパレードであるが。それでも、機能は万全だし、使い勝手も良い。そこら辺は私が保証する。

 

 ところで、このキャビネットを作ったことで、本当に流し台が使い易くなるのか? というのが、私にとってぬぐい切れない疑問だった。レストランの厨房を見ると、流し台の下はオープンで、キャビネットなど無い。その方が使い易いから、そうなっているのではないか? 調理器具をキャビネットに収納したら、取り出すのが面倒になり、かえって使い難くなるのではないか?、などと思ったのである。

 そんな私の心配は無用だったようである。せっせと鍋釜、ボウル、包丁、まな板、等々を仕舞い込んだカミさんは、いたって満足げ。主婦にとっては、自分の働き場所である台所が、綺麗に整頓されるのは、よほど嬉しい事のようである。そしてカミさんは、足元が暖かくなったと言う。オープン状態の時は、外壁から伝わって来る冷気を遮るものが無く、冬場の寒さは相当なものだったらしい。キャビネットは冷気を遮断する構造になっているので、断熱効果をもたらすのだ。そういうことは、うすうす想像はしていたものの、実際にはっきりと効果が感じられたときは、少々驚いたくらいであった。

 ともあれ、30年越しの約束が、ようやく果たされた。娘は、「お母さん、長い間よく我慢したね」と言った。しかし私に言わせれば、カミさんの憎まれ口を、私もよく30年の間耐えたものだ。





ーーー12/13−−−  旧姓が大竹の人


 家内が、ご近所の奥様から古着を頂いた。家内より15歳くらい若い奥様だが、お母様から引き継いだ古着だそうである。その古着に大竹という名前が書かれているのを発見した家内は、「奥様の旧姓は大竹じゃないかしら?」と言った。

 次に会った時に、それを訊ねたら、「そうですよ」と、あっけらかんとした返事だったそうである。家内が「ちっとも知りませんでした。言って下されば良かったのに」と述べると、それに対する返事は無く、「引っ越してきた時、ご近所に大竹さんというお宅があるとは知ってましたが」と応えたそうな。引っ越してきた時とは、20年ほど前である。

 「なぜ言って下さらなかったのかしら」と家内は私に言った。私は「別に言う必要も無かったんじゃないか。言ったからどうなるわけでも無いし。それに、そんな事をいちいち言う人は少ないのではないか」と返した。そして「うちに時々顔を見せる別荘地のNさんだが、君の旧姓と同じだよ。でもそれを言った事は無いだろう」

 そんな会話で一件落着したわけだが、旧姓とはいえ、同じ苗字の人が近くに居るというのは、ちょっと不思議な感じがするのも、無理からぬ事ではある。




ーーー12/20−−− 自分を信じる


 
近年、良く耳にする言葉がある。「自分を信じて」という言葉である。スポーツ選手や、ミュージシャン、その他世の中で成功した人たちの口から、若い世代に対するメッセージとして発せられる。

 美しい言葉である。自分を信じてひたすら、目指す道を進むと言うのは、ストイックな精進そのものというイメージである。しかし誰でもが、自分を信じて努力すれば、野球選手や売れっ子ミュージシャンになれるわけでは無い。目標設定のレベルの問題であるが、その道で食べていけるようなプロを目指すなら、特別な才能を持っていなければ、実現は難しい。自分を信じるということが、世間知らずの的外れな思い込みがベースになっていたら、目的を達成できる可能性は、限りなく低い。

 ボクサーのモハメド・アリが全盛期の頃、どこかのハイスクールで講演をして、若者たちに告げた言葉がある。うろ覚えだが、おおむね次のような内容だった。「諸君は、私に憧れて、プロボクサーになりたいと思うかも知れないが、止めた方が良い。なぜなら、私のようになるためには、類まれな才能が必要だからである」。大口叩きで有名だったボクサーの、自己顕示の発言とも取れるが、ある意味で正しい見解ではある。

 成功者は、努力の結果、栄光を得る。それは間違いない。そして、努力を維持する原動力として、「自分を信じた」ことが良かったと言う。それは事実だと思う。しかしそれは、様々な幸運に恵まれた成功者の、単なる思い出話に過ぎないと言ったら、言い過ぎであろうか。 

 自分の努力で道を切り開いて、人生を歩むことが良しとされる考え方は、一世紀以上の長きに渡り、この国を支配してきた。子供の頃から、一生懸命に頑張ることが良い事だと教えられてきた。また、頑張って努力をすれば、必ず報われると言い聞かされてきた。しかし実際の人生は、どんなに頑張っても、自分の思い通りにはならないものである。

 生まれつき持っているもの、才能のみならず、体の造形や健康の度合いなど、それに恵まれない者にとっては不公平かつ理不尽なのが、現実の世の中である。その不条理を受け入れつつ、折り合いをつけて生きていく姿勢こそが大切である。自分と社会との関係を、冷静に判断し、自分がなし得ることを謙虚に見定める。そのためには、「自分を信じる」ことよりも、「自分を疑う」ことの方を優先すべき場合もある。




ーーー12/27ーーー  一年を振り返る


 
あっという間に一年が過ぎ、今年最後のマルタケ雑記と相成った。恒例の、一年振り返りをしてみよう。

 まず、稼業についてだが、象嵌物語に明け暮れた一年だった。他の仕事は何もしなかった、と言っても過言ではない。木工業を始めてから30年。個人のお客様からのご注文で製作するというのが、お決まりのパターンだった。今年は、山小屋の売店から注文が入り、製品の売れ行き状況に一喜一憂するという、全く新しい仕事の流れになった。シーズンの本番を迎えたら、予想を上回る売れ行きとなり、製作に追われた。顔が見えない、不特定多数の方に作品を買い求めて頂くことは、この歳になってはじめて経験する、新たな境地であった。

 家庭内の出来事としては、次女にベイビーが誕生した。次女は、5月から里帰り出産のために我が家に滞在していたが、9月になって状況が変わり、神戸の自宅に戻って出産をした。次女と共に過ごしたこの5ヶ月間ほどは、楽しい日々だった。これで孫は三人になったが、いずれも女の子である。

 つまらないトピックスだが、我が家として特筆すべき出来事は、地下室の掃除をしたこと。十数年前からゴミ箱のような有様で、見て見ぬふりをして過ごしてきた伏魔殿に、ついに掃除の手が入った。こういう事は、何でもそうであるが、作業を終えて見ると、どうしてもっと早くやらなかったのかと思う。

 30年越しの約束だったキッチンキャビネットを完成したことも、ささやかなれど重要な出来事であった。カミさんはもとより、私自身も、出来上がったキャビネットを見て満足し、嬉しくなった。こんなに幸せになれるのなら、なんでもっと早くやらなかったのかと思った。

 8月の末に、ノーベル賞学者の白川先生ご夫妻を我が家にお迎えしたのも、思い出に残る出来事だった。先生は大学山岳部の先輩で、昨年は特注の椅子を二脚お宅にお納めした。その折に、一度私の工房を見学したいと言われたが、コロナ禍で一年遅れのご訪問となった。お迎えする予定が決まったのは6月。それ以来、どのようにおもてなしをしたら良いか、カミさん共々頭を悩ませる日々だった。結局のところ昼食にカミさんの手料理と私の手打ち蕎麦、そしてカミさん手作りのデザートなどをお出ししたが、とても喜んで頂き、4時間余りの滞在を楽しまれたご様子で、ホッとした。同席した次女にとっても、楽しい思い出になったろう。

 健康については、自転車の3本ローラートレーニングとダンベル体操を継続した。昨年は、毎日朝食後と昼食後の二回やっていたが、今年は朝食後だけになり、さらに一日おきにまでペースダウンした。こういう推移は、いかにも年齢を感じさせる。裏山登りのトレーニングは、自転車にその座を奪われて、わずか6回にとどまった。それでも体重は適正体重(70Kg)の少し上で推移しているから、良しとしたい。コロナワクチンは5回目まで受けた。私の場合、副反応は全く無い。これで効いているのかと疑うくらいである。

 続いて趣味の分野。

 チャランゴは、あらたに小ぶりの楽器を、ネットのフリマで購入した。野山や海岸に持って行って演奏を楽しむ目的で、気楽に使える中古楽器を求めたのである。そのための運搬ケースまで作ったが、出番は伊那市山中の友人宅での宴会に持参した一回きりであった。

 ケーナは、毎日蕎麦を茹でるときに、湯が沸騰するのを待つ数分間を利用して音出し練習をするだけ。しかし、そんな軽少の練習でも、継続することは有意義だ。いまだに、少しずつ音が良くなっている感覚はある。

 蕎麦打ちは、昨年は三日に一回のペースで打っていたのだが、今年は食べる量が減ったので、途中から六日に一回のペースへ下がった。こういう推移も、年齢を感じさせる。それでも記録を見ると、今年は70回近く打っている。回数を重ねるにつれて、技量は知らぬうちに向上しているようだ。打った蕎麦をご近所のお宅へ差し上げたら、年配の旦那さんが「この辺りのどの蕎麦屋より美味い。大竹さん商売かえたら?」と言っていたそうな。それはまず、蕎麦粉のせいじゃろう。

 マツタケは予想に反して、収穫量が少なかった。そして私自身は、象嵌物語の製作に追われて、マツタケ採りの入山をパスすることが多くなり、低調だった。その一方、8年目となるマツタケ山の整備作業は順調に進み、数年後に期待を抱かせる状況となっている。

 ただ単に暗記をするだけの百人一首。これまでの、上の句から下の句、その逆に下の句から上の句、の暗唱に加えて、一枚札から十六枚札まで、体系的に暗記することに挑戦し、ほぼ手中に納めた。ところで、私の百人一首は、人知れずひそかに楽しんでいるだけのもの。人前で成果を披露することは、この先の人生を通じて、おそらく一度も無い。

 こんな一年だった。ともあれ、無事に大晦日を迎えられそうである。感謝したい。

 今年もマルタケ雑記にお付き合い頂き、有難うございました。来年もよろしく、お願い致します。

 どうぞ良いお年をお迎え下さい。